耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

野田市の事件について

間もなく千葉県野田市で栗原心愛ちゃんを殺害した父親・栗原勇一郎被告の裁判が始まります。

先月、事件から1年経った24日に県庁や市役所、学校で黙祷が捧げられたというニュースを目にしました。

 

学校の子供達はともかく、県や市で行う意味がよく分かりません。

この事件に関しては、実行犯は当然両親ですが、関係機関も十分加担しているように見えます。

事件に関する記事を読んでいると、そこからは関係機関の職員の方々の怠慢と能力不足が読み取れますし、各部署のうちではないよそが動くでしょうという適当加減、さらに各々の保身をはかる職員の姿にものすごく腹が立ちます。

関係機関の職員はこの事件は自然災害的に起こったのではなく、自分たち大人が力を合わせて10歳の女の子を殺した、ということを自覚していて欲しいです。

 

千葉県児童家庭課・尾関範子課長は、「(この1年間)心の中で、心愛さんに、これでいいのかなとか、こんなことをやるけどどうかなって問いかけながらきた」と話した。

         FNNPRIME 2020/1/24の記事より 

こういうのも、何を言っておられるのだろう?と思ってしまいます。完全に自分のための思考と感じる。もちろんそれは自由でありその方の勝手ですが、それを外に向けて言ってしまえるのがすごい。

当の心愛ちゃんの苦しみは薄まらない。もう助けられないというのに。

 

先月、検証委員会から「心愛さんの命を救うために少なくとも13回、行政機関が介入すべきタイミングがあった。頼れる大人が1人でもいたら救えたはず」などという指摘がありました。(専門家の報告を見るまでもなく、事件に関する記事を追う我々素人の目にもそれは明らかでした。)

学校の先生、児童相談所の職員、親戚、近所…本当に一人でも動いてくれる人がいたら(最初にアンケートを見て問題を問題と捉え、児童相談所につないだ先生はいました。)、頼ることが出来たら。

頼ることが出来なくなった一番の要因はアンケートを父親に渡した市教育委員会の行為ではないでしょうか。それだけではなく、彼らは自分達の行いについて意図的に濁した。報告は目立たないようにひっそりと…そしてそれを目にしても問題視、疑問視出来なかった複数の方々の力不足もまた要因のひとつではないでしょうか。

 

以下、夏休み明けに1週間ほど休んだ後に登校した日の心愛ちゃんの様子について。

「沖縄は楽しかった」「おばあちゃんは体調が悪いけど、入院はしていない」などと説明。教員は、心愛さんの姿勢がだらしなく、体調も悪そうだったほか、視線が外れがちで内履きを脱ぐなど普段と様子が違うことに気付いたが、体にあざなどがなかったことから、話の真偽を確認しなかった。

異変の報告を受けた児童相談所も、家庭訪問などによる確認をしなかった。

             東京新聞 2019/12/22の記事より 

 

体にあざなどが見当たらなければ何もされてない、という図式が学校や児童相談所の職員の中にあるのが不思議です。そんなわけがないのに。一度腹を探られた後で、これみよがしに子供に傷をつけて学校に送り出す人がいるのだろうか。

被害について、言葉や言葉以外で保護当初本人が懸命に発したものをずいぶん軽く扱っていたのだと感じます。+医師などの診断も。

夜中に起こされて朝まで立たされる、というのもすごくしんどかっただろう。

成人男性に力で押さえつけられたり、傷が残らなくても叩かれたり、強要されることもとても怖いに違いない。

実際、心愛ちゃんはこの間も父親から虐げられており、生きるために自分で一生懸命考えた末だと思いますが、父親の実家に連絡をして9月から12月まで身を寄せています。そうして12月の終わり頃、強制的に自宅に戻され最悪の事態に至ります。

9月から12月に父親実家で暮らしていることを児童相談所も把握していたようですが(母親の体調が悪いため、と父親が自ら連絡したという記事を目にしたことがあります)、当然面会もしていません。

 

1月の冬休み明けにも欠席が続いていました。

学校は10日・11日に市に連絡→市、動かず。

欠席がさらに続き、21日に児童相談所に連絡→動かず。その理由について、テレビの会見等で「他に緊急の案件があり対応出来なかった」「虐待の程度が軽いので大丈夫だと思った」「夏休み明けも欠席が続いたがその後登園したので大丈夫だと思った」といった話が聞かれました。いずれも意味が分かりません。

電話1本でも何か変わったかもしれないのに。虚しい、たらればの話ですが。 

 

殺害の実行犯は父親と母親です。

ですが、怠慢と能力不足と適当加減、さらに各々の保身をはかる関係職員の姿(にどうしても見えてしまいました)にも憤りを感じた事件でした。