耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

栗原勇一郎被告の裁判について3

司法解剖を行った医師の証言からは、心愛ちゃんが本当に辛く苦しい思いをしていたことが分かりました。両親の証言以上にひどいことをされていたと容易く想像出来ます。

 

アンケートを読んで児相につなげた担任の先生も証言されています。

その中で、赤くなっていた目について心愛ちゃんは結膜炎と言わされていたが殴られた為だったと告白していたことが分かりました。頭や顔や首を殴る蹴るって、目に異常が出ることもあったぐらいって。

かなり深刻な状態だったのではないでしょうか。そう感じて先生も機関につないだのですよね。

 

また、心愛ちゃんを担当していた児童相談所の職員も証言台に立ちました。

→テレビ朝日の記事です。

心愛ちゃんが職員に頑張って伝えた数々の暴行。ふさがれた唇が腫れて、その痕を隠すためにマスクをしていた?口や鼻をふさぐという行為だけでも恐ろしいのに、唇が腫れるって相当だと思いました。3年生の女の子が下着を脱がされるって。

父親をものすごく怖がっていたことも、ここでもまた証言されました。

一時保護解除の判断については私には是非が分かりません。

結果を知っているので、解除するべきではなかったのにと言いたくなりますが。(解除を決める会議も開かれなかったようですね。どうやって決めたのだろうか?)

ただその後、祖父母宅から自宅に戻す判断については誤っていたと言いたいです。

実際には児童相談所が戻す判断をしたのではなく、被告がすでに心愛ちゃんを自宅に連れていったことが先にくるわけですが。だから判断もしていない。まともにアセスメントを行うと、リスクは高いままだった。自宅に戻っても大丈夫という根拠も書類には残せなかった。その書類もあるとかないとか、当時もあやふやな時期がありました。

また、この記事からは自宅に戻る判断を担当者レベルで行っていたことが分かりましたが、それはプロの方から見ると適切ではないようです。

自宅に戻っても大丈夫と言えないと分かっていたのに、再度祖父母宅へ、と出ることが出来なかった。心愛ちゃんの夏休み明けの様子等の情報を軽視した。冬休み明けの長期欠席を聞いても対応しなかった。

 

 女性職員らは本当に、栗原被告や被告の父親を恐れ怯んでいたのですね。

今回の裁判の中で「自分が殺されても」などという言葉が聞かれるほど、本当に意図的に心愛ちゃんを放置してしまったのですね。

恐怖心を抱くこと自体は当たり前だと思います。

ただ、恫喝されたり脅迫された場合の対応方法については研修や勤務する中で教えられることはないのでしょうか。職員が周囲に助言を求めたり、助けてもらうことは出来ないのでしょうか。現場ではよくあることなのではないのでしょうか。

現場によっては正しい対処法を用いているのだと思います。この柏児童相談所の前所長の話などから(→千葉日報記事)この現場では子供も職員も大切にされている印象がないです。

同じことは野田市教育委員会でもありました。でも被告を恐れてアンケートを渡したのは次長兼課長という、多分「上の方の人」であり、本当であれば助言を与える側の人だったようです。それではもう行き止まりではないかと思います。

 

心愛ちゃんの母親の証言を聞くとやはり、なぜ執行猶予?という思いに駆られます。

衰弱してオムツを使用していたって何。どうやって助けを求める声を無視出来たのだろう、暴力を振るわれる姿がたくさんの傷が見えないふりが出来たのだろう。

心愛ちゃんが暴行を受ける正当性をかき集め(そんなものは本当は存在しない)、全力で自分を守ったんですね。

自分をまず守る、というのは生き物として当たり前なのだけれど。

「DV」と「本人」はどちらが先に来るのだろうか?全ての人が同じ「DV」で同じ行為をするわけでは多分ない。

また、母親の証言から被告には250万円ほどの借金があったということも分かりました。そういう背景もあったのですね。(被告母の証言から、実家からは多額の援助も受けていたことも分かりました。)

 

被告の妹も証言をしています。心情的にはもう少し踏み込んでくれたらこの方が救うことが出来たんじゃないか、救って欲しかったと思ってしまうのですが、きっとご自分に出来る範囲で心愛ちゃんのことを考えて動いていたんだろう。加害者の家族であり被害者とも近かった、難しい立場にある方だと思います。

 

求刑は懲役18年。マックス20年では駄目だったのでしょうか。

(自分は基本「虐待死への罰で極刑以外ある?」というスタンスですが。)

間もなく判決です。