耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

箕面市4歳児虐待死事件の判決

栗原勇一郎被告の控訴審判決

心愛さん父に二審も懲役16年 千葉小4虐待死「悪質性際立つ」

 千葉県野田市の自宅で2019年1月、小学4年の栗原心愛さん=当時(10)=を虐待して死亡させたとして、傷害致死罪などに問われた父勇一郎被告(43)の控訴審判決で、東京高裁は4日、懲役16年とした一審千葉地裁裁判員裁判判決を支持し、被告の控訴を棄却した。

 近藤宏子裁判長は、心愛さんが必死の思いで助けを求めたのに、被告が児童相談所や親族による救いの手を徹底的に排除し、孤立無援の状態に追い込んで虐待死させたとして「異常なまでに陰惨でむごたらしい。悪質性は際立っている」と述べた。

2021年3月4日18:34 (共同通信

 

栗原勇一郎被告の裁判、判決は懲役16年でした。その後、被告は控訴。

一審判決は懲役16年でしたが、16年なんてゼロがひとつ足りないのではないか、という理由では勿論なく、

 

控訴審で弁護側は「一審判決の量刑は重すぎて不当」と刑を軽くするよう求めていた。”(同記事)

 

とのこと。

個人的には求刑通りの18年でも全く足りない気持ちなので、重すぎて、という箇所がさっぱり理解できません。今、自分の子供が当時の心愛ちゃんと同じ年なのですが、こんな年ごろの女の子があんな酷い目に遭って殺されたんだ、と怒りや悔しさをあらたにしているところです。

 

裁判費用など、被告のご両親が工面しているのでしょうか。だとしたら、それもすごいなあと思います。

自分だったら。もしも子供が罪を犯したら、自分もそんな心情で動くのだろうか。そういうものなのだろうか。

いやそんなことはない、と今のところは断言できるのですが。

栗原勇一郎被告の裁判について3

司法解剖を行った医師の証言からは、心愛ちゃんが本当に辛く苦しい思いをしていたことが分かりました。両親の証言以上にひどいことをされていたと容易く想像出来ます。

 

アンケートを読んで児相につなげた担任の先生も証言されています。

その中で、赤くなっていた目について心愛ちゃんは結膜炎と言わされていたが殴られた為だったと告白していたことが分かりました。頭や顔や首を殴る蹴るって、目に異常が出ることもあったぐらいって。

かなり深刻な状態だったのではないでしょうか。そう感じて先生も機関につないだのですよね。

 

また、心愛ちゃんを担当していた児童相談所の職員も証言台に立ちました。

→テレビ朝日の記事です。

心愛ちゃんが職員に頑張って伝えた数々の暴行。ふさがれた唇が腫れて、その痕を隠すためにマスクをしていた?口や鼻をふさぐという行為だけでも恐ろしいのに、唇が腫れるって相当だと思いました。3年生の女の子が下着を脱がされるって。

父親をものすごく怖がっていたことも、ここでもまた証言されました。

一時保護解除の判断については私には是非が分かりません。

結果を知っているので、解除するべきではなかったのにと言いたくなりますが。(解除を決める会議も開かれなかったようですね。どうやって決めたのだろうか?)

ただその後、祖父母宅から自宅に戻す判断については誤っていたと言いたいです。

実際には児童相談所が戻す判断をしたのではなく、被告がすでに心愛ちゃんを自宅に連れていったことが先にくるわけですが。だから判断もしていない。まともにアセスメントを行うと、リスクは高いままだった。自宅に戻っても大丈夫という根拠も書類には残せなかった。その書類もあるとかないとか、当時もあやふやな時期がありました。

また、この記事からは自宅に戻る判断を担当者レベルで行っていたことが分かりましたが、それはプロの方から見ると適切ではないようです。

自宅に戻っても大丈夫と言えないと分かっていたのに、再度祖父母宅へ、と出ることが出来なかった。心愛ちゃんの夏休み明けの様子等の情報を軽視した。冬休み明けの長期欠席を聞いても対応しなかった。

 

 女性職員らは本当に、栗原被告や被告の父親を恐れ怯んでいたのですね。

今回の裁判の中で「自分が殺されても」などという言葉が聞かれるほど、本当に意図的に心愛ちゃんを放置してしまったのですね。

恐怖心を抱くこと自体は当たり前だと思います。

ただ、恫喝されたり脅迫された場合の対応方法については研修や勤務する中で教えられることはないのでしょうか。職員が周囲に助言を求めたり、助けてもらうことは出来ないのでしょうか。現場ではよくあることなのではないのでしょうか。

現場によっては正しい対処法を用いているのだと思います。この柏児童相談所の前所長の話などから(→千葉日報記事)この現場では子供も職員も大切にされている印象がないです。

同じことは野田市教育委員会でもありました。でも被告を恐れてアンケートを渡したのは次長兼課長という、多分「上の方の人」であり、本当であれば助言を与える側の人だったようです。それではもう行き止まりではないかと思います。

 

心愛ちゃんの母親の証言を聞くとやはり、なぜ執行猶予?という思いに駆られます。

衰弱してオムツを使用していたって何。どうやって助けを求める声を無視出来たのだろう、暴力を振るわれる姿がたくさんの傷が見えないふりが出来たのだろう。

心愛ちゃんが暴行を受ける正当性をかき集め(そんなものは本当は存在しない)、全力で自分を守ったんですね。

自分をまず守る、というのは生き物として当たり前なのだけれど。

「DV」と「本人」はどちらが先に来るのだろうか?全ての人が同じ「DV」で同じ行為をするわけでは多分ない。

また、母親の証言から被告には250万円ほどの借金があったということも分かりました。そういう背景もあったのですね。(被告母の証言から、実家からは多額の援助も受けていたことも分かりました。)

 

被告の妹も証言をしています。心情的にはもう少し踏み込んでくれたらこの方が救うことが出来たんじゃないか、救って欲しかったと思ってしまうのですが、きっとご自分に出来る範囲で心愛ちゃんのことを考えて動いていたんだろう。加害者の家族であり被害者とも近かった、難しい立場にある方だと思います。

 

求刑は懲役18年。マックス20年では駄目だったのでしょうか。

(自分は基本「虐待死への罰で極刑以外ある?」というスタンスですが。)

間もなく判決です。

一斉休校の影響

3月6日付の新聞記事です。

「一斉休校に虐待リスク」という見出しで、学校や児童福祉の現場から虐待が疑われる家庭でリスクが高まると懸念の声が上がっているという内容でした。

 

心愛ちゃんの事件の後、教育庁は長期休業中や休み明けは特に目を配るように指導してきたとあります。(という部分にもちょっと驚く…最近までそこは重要視されてなかったのでしょうか。長期休みに子供の危険度が高まるのはその世界では常識なのかと思っていました。)

また、今回の休校は突然決まったので個別の対応について決める事が出来ないまま休みが始まってしまったとのこと。確かにあれは突然でした。

大阪府の担当者は”家庭訪問の頻度を増やすことも考えられる”と指摘する。」「一方、横浜市の中央児童相談所は現場のケースワーカーに不要不急の家庭訪問を控えるように通知した」(記事より)

3月7日現在は感染者の確認がない・いわゆる都会でもない・いわゆる地方に住んでいる自分にはぴんと来ないのですが…そういうことにもなるのですね。

 

記事の結びに。

「東京通信大の才村純教授(児童福祉論)は”児相の現場は常に人手不足なので、頻繁な訪問は難しいだろう”と理解を示し、子どもたちの命綱として民生委員や近隣住民に期待を寄せる。”子どもの境遇に思いをはせ、気になる子がいたら児相や自治体に連絡してほしい。それが命を救うきっかけになる”と話した。」

本当にそうだなあと思います。

児相だけではなく様々な人が見守らないと子供の命は救う事が出来ないのだと感じます。…ただそれを拒む、億劫がるのが児相というイメージも申し訳ないのですが個人的にはあるのですが。

 

この新聞記事より、とりあえずそういう認識が現場にはある、ということを知ることが出来てそれは良かったです。

 

この休校によって家庭で苦しい思いをしている子供達はいるのだろう。

給食がなくなり困っている子供達もきっといますよね。

 

ただの一般市民である自分にも出来ることはあるのか、考えたいです。 

学童に持っていく弁当作りで毎日あたふたしているレベルの自分に出来ることなんかあるのか…と思ってしまう現実ですが。

栗原勇一郎被告の裁判について2

初公判。あれだけ物的な証拠や妻の証言があるので、その点では言い逃れ出来ないのではと思っていましたが、堂々と言い逃れようとしているのに驚きました。特に死因に関わる部分ではかなり自分の関与を否定しているような印象でした。

 

腕を引いて上体を持ち上げたが床に叩きつけたりしていない怪我を負ったかは知らない、とか娘が「撮れ」と挑発したとか、暴れたので押さえたとか、頭を冷やすために数秒水をかけたら何故か分からないけれど死んでしまったとか、胃の内容物は残っておらず血中のケトン体も検出されているけれど、食事を抜くように自分は指示していない(もし食事をとっていないのであればそれは妻の独断によるものだと言いたい?)とか。

 

そんなことを平気でよく言えると思いました。

しかしそんなことを平気でよく言えるから、一連の犯行にも及ぶことが出来るのかもしれない。

(もしかしたら被告の弁護人も内心では検察側寄りであり、敢えて被告に「んなわけないだろ」というような事を言わせて裁判員の心証を害そうとしているのかとすら思える発言です。んなわけないだろとは思いますが…。)

 

被告は自分の支配欲や性欲を満たす「プレイ」にたった10歳の娘を巻き込み、快楽を追求し続けた末に殺したこの事件は、傷害致死という罪で裁いて良いのだろうか。

 

他、多くの虐待死事件に関しても同様で、傷害致死や保護責任者遺棄は何か違うと思ってしまいます。

父・栗原勇一郎被告の裁判について1

取り調べ後半では黙秘を貫いたという被告は、法廷で何を語るのでしょうか。

おおまかなところは心愛ちゃんの母親が供述しているので、それらは事実として認めた上で、殺す気は毛頭なかったが感情的になり行ってしまった結果である、心愛ちゃんに申し訳ないことをした反省している(取り調べでは悪いことをしたとは思っていないと発言していたようですが)、という路線で減刑を図っていくのでしょうか。

心愛ちゃんに自宅に帰ることを家族の前で拒まれ、深く傷つけられたとか。

まさかインフルエンザの影響の異常行動、などとは言い出さないと思いますが。

 

こういった裁判では、思わず知りたくないと目を背けたくなるような事実が明らかにされます。当然、真実がすべて語られるわけではないので、実際はこれよりもひどい事をされていたんだろうなということも考えてしまい、余計に辛いと感じます。

 

 

以下、1月25日付の東京新聞の記事です。

虐待死の心愛さん、届かなかった「自分への手紙」 死の3カ月前「未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」

祖父母宅では安心して楽しく過ごすことが出来る時間もあったのですね。

しかし、「私たちが会う時は、虐待の形跡は見当たらなかった。近くにいながら助けてやれず、悔やみきれません」という言葉も不思議に感じます。

心愛ちゃんが一時保護の後、また夏休み後~年末と助けを求めて自分達の家で暮らして理由を何だと思っていたのでしょうか。

 

ネットや週刊誌の記事で、一時保護の後に祖父は栗原勇一郎被告と同様に虐待の事実を認めず、児童相談所の職員に強硬的な態度を見せたとありました(記事の出所なしですみません…)。 

多分、栗原被告の行為について聞いていたとは思うのですが、祖父のみでなく祖母もまた「虐待」という認識はなかったのでしょうか。

それの何が悪いの?と。立たせることも殴ることも、いわゆるしつけの一環であり昔であれば当たり前だったようなことであり(自分達もそうやって子供達をしつけた??)、何でも虐待と騒ぐ世間がおかしいと思っていたのでしょうか。そういう人達は割合いるのかもしれません。それも分かりますが、その場合、程度の問題もありますよね。そこは祖父母も理解しなかった?

栗原被告の言葉(おそらく控えめに自分の行為を両親には申告、保護されるようなことはしていないのに学校や児童相談所が過剰な動きをしたと?)を鵜呑みにして、心愛ちゃんの不安もまた大げさなのだと思っていた?

夏休み後、父親から受ける暴力等の行為について本人からの訴えを聞いた叔母からは「通報」という言葉も出たが祖父は反対し、その代わりに自宅に置くという方法をとったと記事にはありました。

”虐待の形跡は見当たらなかった”

というインタビューでの言葉に腑に落ちないものを感じます。

そもそもネットや週刊誌の記事が全て真実ではないわけですが。

12月。自宅に帰される時に怖がり嫌がり泣いていた心愛ちゃん。10歳の子が泣くって余程のことですよね。自宅に帰るのに泣くって尋常ではない。

その後、近所だったという祖父母一家の方々はコンタクトをとらなかったのでしょうか?十分、助けられる方々ではなかったのか。

また助けを求めることを警戒した栗原被告がいろいろ誤魔化し完全にブロックしていた?

学校や児童相談所と祖父母宅の連携はなかった?心愛ちゃんが生活していた場所なのに?児童相談所職員は祖父の態度にもまた脅威(あるいは面倒さ)を感じ、近づきたくないという認識もあった?

 

勝手な憶測ばかりの文になってしまいました。

大体このブログはそうなのですが。

野田市の事件について

間もなく千葉県野田市で栗原心愛ちゃんを殺害した父親・栗原勇一郎被告の裁判が始まります。

先月、事件から1年経った24日に県庁や市役所、学校で黙祷が捧げられたというニュースを目にしました。

 

学校の子供達はともかく、県や市で行う意味がよく分かりません。

この事件に関しては、実行犯は当然両親ですが、関係機関も十分加担しているように見えます。

事件に関する記事を読んでいると、そこからは関係機関の職員の方々の怠慢と能力不足が読み取れますし、各部署のうちではないよそが動くでしょうという適当加減、さらに各々の保身をはかる職員の姿にものすごく腹が立ちます。

関係機関の職員はこの事件は自然災害的に起こったのではなく、自分たち大人が力を合わせて10歳の女の子を殺した、ということを自覚していて欲しいです。

 

千葉県児童家庭課・尾関範子課長は、「(この1年間)心の中で、心愛さんに、これでいいのかなとか、こんなことをやるけどどうかなって問いかけながらきた」と話した。

         FNNPRIME 2020/1/24の記事より 

こういうのも、何を言っておられるのだろう?と思ってしまいます。完全に自分のための思考と感じる。もちろんそれは自由でありその方の勝手ですが、それを外に向けて言ってしまえるのがすごい。

当の心愛ちゃんの苦しみは薄まらない。もう助けられないというのに。

 

先月、検証委員会から「心愛さんの命を救うために少なくとも13回、行政機関が介入すべきタイミングがあった。頼れる大人が1人でもいたら救えたはず」などという指摘がありました。(専門家の報告を見るまでもなく、事件に関する記事を追う我々素人の目にもそれは明らかでした。)

学校の先生、児童相談所の職員、親戚、近所…本当に一人でも動いてくれる人がいたら(最初にアンケートを見て問題を問題と捉え、児童相談所につないだ先生はいました。)、頼ることが出来たら。

頼ることが出来なくなった一番の要因はアンケートを父親に渡した市教育委員会の行為ではないでしょうか。それだけではなく、彼らは自分達の行いについて意図的に濁した。報告は目立たないようにひっそりと…そしてそれを目にしても問題視、疑問視出来なかった複数の方々の力不足もまた要因のひとつではないでしょうか。

 

以下、夏休み明けに1週間ほど休んだ後に登校した日の心愛ちゃんの様子について。

「沖縄は楽しかった」「おばあちゃんは体調が悪いけど、入院はしていない」などと説明。教員は、心愛さんの姿勢がだらしなく、体調も悪そうだったほか、視線が外れがちで内履きを脱ぐなど普段と様子が違うことに気付いたが、体にあざなどがなかったことから、話の真偽を確認しなかった。

異変の報告を受けた児童相談所も、家庭訪問などによる確認をしなかった。

             東京新聞 2019/12/22の記事より 

 

体にあざなどが見当たらなければ何もされてない、という図式が学校や児童相談所の職員の中にあるのが不思議です。そんなわけがないのに。一度腹を探られた後で、これみよがしに子供に傷をつけて学校に送り出す人がいるのだろうか。

被害について、言葉や言葉以外で保護当初本人が懸命に発したものをずいぶん軽く扱っていたのだと感じます。+医師などの診断も。

夜中に起こされて朝まで立たされる、というのもすごくしんどかっただろう。

成人男性に力で押さえつけられたり、傷が残らなくても叩かれたり、強要されることもとても怖いに違いない。

実際、心愛ちゃんはこの間も父親から虐げられており、生きるために自分で一生懸命考えた末だと思いますが、父親の実家に連絡をして9月から12月まで身を寄せています。そうして12月の終わり頃、強制的に自宅に戻され最悪の事態に至ります。

9月から12月に父親実家で暮らしていることを児童相談所も把握していたようですが(母親の体調が悪いため、と父親が自ら連絡したという記事を目にしたことがあります)、当然面会もしていません。

 

1月の冬休み明けにも欠席が続いていました。

学校は10日・11日に市に連絡→市、動かず。

欠席がさらに続き、21日に児童相談所に連絡→動かず。その理由について、テレビの会見等で「他に緊急の案件があり対応出来なかった」「虐待の程度が軽いので大丈夫だと思った」「夏休み明けも欠席が続いたがその後登園したので大丈夫だと思った」といった話が聞かれました。いずれも意味が分かりません。

電話1本でも何か変わったかもしれないのに。虚しい、たらればの話ですが。 

 

殺害の実行犯は父親と母親です。

ですが、怠慢と能力不足と適当加減、さらに各々の保身をはかる関係職員の姿(にどうしても見えてしまいました)にも憤りを感じた事件でした。