耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

父・栗原勇一郎被告の裁判について1

取り調べ後半では黙秘を貫いたという被告は、法廷で何を語るのでしょうか。

おおまかなところは心愛ちゃんの母親が供述しているので、それらは事実として認めた上で、殺す気は毛頭なかったが感情的になり行ってしまった結果である、心愛ちゃんに申し訳ないことをした反省している(取り調べでは悪いことをしたとは思っていないと発言していたようですが)、という路線で減刑を図っていくのでしょうか。

心愛ちゃんに自宅に帰ることを家族の前で拒まれ、深く傷つけられたとか。

まさかインフルエンザの影響の異常行動、などとは言い出さないと思いますが。

 

こういった裁判では、思わず知りたくないと目を背けたくなるような事実が明らかにされます。当然、真実がすべて語られるわけではないので、実際はこれよりもひどい事をされていたんだろうなということも考えてしまい、余計に辛いと感じます。

 

 

以下、1月25日付の東京新聞の記事です。

虐待死の心愛さん、届かなかった「自分への手紙」 死の3カ月前「未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」

祖父母宅では安心して楽しく過ごすことが出来る時間もあったのですね。

しかし、「私たちが会う時は、虐待の形跡は見当たらなかった。近くにいながら助けてやれず、悔やみきれません」という言葉も不思議に感じます。

心愛ちゃんが一時保護の後、また夏休み後~年末と助けを求めて自分達の家で暮らして理由を何だと思っていたのでしょうか。

 

ネットや週刊誌の記事で、一時保護の後に祖父は栗原勇一郎被告と同様に虐待の事実を認めず、児童相談所の職員に強硬的な態度を見せたとありました(記事の出所なしですみません…)。 

多分、栗原被告の行為について聞いていたとは思うのですが、祖父のみでなく祖母もまた「虐待」という認識はなかったのでしょうか。

それの何が悪いの?と。立たせることも殴ることも、いわゆるしつけの一環であり昔であれば当たり前だったようなことであり(自分達もそうやって子供達をしつけた??)、何でも虐待と騒ぐ世間がおかしいと思っていたのでしょうか。そういう人達は割合いるのかもしれません。それも分かりますが、その場合、程度の問題もありますよね。そこは祖父母も理解しなかった?

栗原被告の言葉(おそらく控えめに自分の行為を両親には申告、保護されるようなことはしていないのに学校や児童相談所が過剰な動きをしたと?)を鵜呑みにして、心愛ちゃんの不安もまた大げさなのだと思っていた?

夏休み後、父親から受ける暴力等の行為について本人からの訴えを聞いた叔母からは「通報」という言葉も出たが祖父は反対し、その代わりに自宅に置くという方法をとったと記事にはありました。

”虐待の形跡は見当たらなかった”

というインタビューでの言葉に腑に落ちないものを感じます。

そもそもネットや週刊誌の記事が全て真実ではないわけですが。

12月。自宅に帰される時に怖がり嫌がり泣いていた心愛ちゃん。10歳の子が泣くって余程のことですよね。自宅に帰るのに泣くって尋常ではない。

その後、近所だったという祖父母一家の方々はコンタクトをとらなかったのでしょうか?十分、助けられる方々ではなかったのか。

また助けを求めることを警戒した栗原被告がいろいろ誤魔化し完全にブロックしていた?

学校や児童相談所と祖父母宅の連携はなかった?心愛ちゃんが生活していた場所なのに?児童相談所職員は祖父の態度にもまた脅威(あるいは面倒さ)を感じ、近づきたくないという認識もあった?

 

勝手な憶測ばかりの文になってしまいました。

大体このブログはそうなのですが。