耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

母優里被告の公判に思ったこと2

17日、母優里被告に懲役8年の判決が下りました。(求刑11年)

 

以下、新聞に掲載されていたものです。

(判決は)元夫からの心理的DV被害の影響をある程度認めたが、「母親」の責任を厳しく追及し過ぎている。~「心理的影響を乗り越える契機があった」とするのはDV被害の実態を理解していない。~母親への非難は簡単だが、行政や医療機関の対応も含め、逃げられなかった背景を考えるべきだ。~(虐待とDVについて)社会問題として議論しなければ悲しい事件が繰り返されてしまう。 

                  (DV問題に詳しい坂倉由実弁護士の話)

 

子どもの虐待死は、裁判員制度が始まってから量刑が跳ね上がった犯罪類型だ。今回も生命を尊重する市民感覚が反映されたのだろうが、量刑が重すぎる印象がある。同じ虐待死でも、被告に殺意があったのかや、暴力を直接加えたのか見過ごしただけなのかによって、罪名も量刑も明確に区別しないといけないはずだ。このままでは、特別重大な犯罪とされるべき殺人と、今回のような保護責任者遺棄致死の差がなくなり、量刑全体のバランスが崩れないかと懸念を抱いてしまう。裁判員制度が始まり10年が経過したが、こうした司法の変化がふさわしいかどうか検討が必要だ。

                       (元裁判官の森炎弁護士の話) 

 

専門家からは量刑について重すぎるという指摘もあります、ということを示したいようです。

さすがに専門家の意見として「被害者と同じ目にあわせるべき」とか「極刑でもぬるい」的なものは載っていません。

 

(個人的な意見ですが。無抵抗にならざるを得ない子供を時間をかけて苦しい思いをして死なせる虐待死って、いわゆる殺人と遜色あります?衝動的な、もしくは計画的な殺人より性質悪いと思ってます。相手が子供であればなおさら、助けないというのは十分に加害(殺害)行為ではないのか。)

 

(結愛ちゃんが残したノートの言葉について)「衝撃的だったが、証拠を調べていくと印象が変わってきた」「証拠として見ると違う面があった」※優里被告の、雄大被告にこれ以上怒られないように二人で書いたという供述を受けての指摘。

「(結愛ちゃんの)弟もいるので、しっかりと刑期を終えて今後を生きてほしい」

 

                           (裁判員の会見より)

裁判員「難しい判断」という見出しがつけられていました。

ものすごく難しいんだろうなと思います。こうして好き勝手に思ったことを書くのとは違う。

 

弁護側は被告は加害者でありながらDV被害者であり正常な判断は出来なかった、それでも精一杯母親としてやれることをやった、深く反省しているという部分を主張していましたし、求刑から目減りするのが割と普通のようですし、今回の判決も落ち着くところに落ち着いたと言えるのでしょうか。

懲役8年。現在までの勾留期間を引き、また実際の刑期は短めになることもあるようなので、実質4~5年ぐらいなのでしょうか。 

妥当?長い?短い?

 

一つ思ったこと。「船戸優里を一番許せないのは自分」等と話し、「死にたい。結愛のところに行きたい」と公判の中で号泣していた被告について閉廷後、弁護人は「(優里被告は)裁判員が自分の主張を理解してくれたと受け止めているようで、量刑に不満はなさそうだった」と伝えています。(同新聞記事より)

何となく腑に落ちない、というか辻褄の合わなさを感じました。

何故求刑よりも短くしたのか、もっと長くして下さいと控訴すれば納得というわけでもないのですが。