耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

云えないんだけど云わずにいられないこと

 
警察や住民による数度の保護、児童相談所も市も把握、医療機関からの情報提供…これだけ揃っていても駄目だったのなら、もう子供の命を救うことなんて出来ないのでは、という気持ちになりました。
 
「次に子供が外で保護されるようなことがあれば一時保護をすると母親に伝えた」(児童相談所)という発言をニュースで目にしましたが、何回目だと保護、みたいな基準があるのだろうか?その前には虐待を疑われる動画が投稿されたということで警察と児童相談所が訪問、傷は確認されず、虐待の疑いはなしとされたようですが、本当に動画が存在するのであれば誰が動画を撮り投稿したと思っての訪問だったのでしょうか?母親?そして動画は「シャワーをかける」という動画だったという噂を目にしました。だとすれば傷は残らないですよね。(動画の存在自体があやふやという情報もありますが。)そんな動画を撮って投稿、という後先を考えない、感情がすぐ行動に結びついてしまう人が身近にいるというのは危険なことのように思えます。※※
「育児をしっかり行うように母親に言った」って…そんなんで出来るようになるだろうか。どうしてそうなっているのかは考えないのだろうか。
 
出水市は7月下旬に頭部打撲で外来受診をして(転んで怪我をすることはありますが、この時は実際どうだったのだろう…)、8月上旬に別の医療機関を受診した母親が連れていた愛来ちゃんに複数の痣があったという情報を児童相談所には伝えていなかったようです。
情報を受けて市の保健師が3回訪問して会えず、亡くなる直前、8月の終わり頃にようやく面談。傷もなく母親との関係は良好(放っておかれる時間が多いならなおさらお母さんの近くにいるその時も嬉しかったんですよね)ということで問題ないと判断。
母親の就労状況や同居男を含めた環境等については問題視しなかったようです。
 
全ての事件についてそうなのですが、自分はその悲惨な結末も事件の大まかな全体像も捉えられる「神の視点」を持っているので、ああすればよかったのにこう動けば良かったのにと好き勝手云えるんだと分かっています。
渦中にいると見え方は全然違うだろう、自分だって動けるはずもないのですが。
この事件でも何故?と、こんなにも母親が自分の不在や子供の怪我を周囲に隠さず分かりやすく目に見えるようにしてくれていたのに何故助けられない?と、でもどうしても云わずにはいられません。
 
※※9月20日補足。動画は愛来ちゃんがつねられる様子を撮ったもので、それを行い撮影、投稿をしたのは母親だという記事も見ました。わざわざ自撮りをしてわざわざ自投稿したということなのだろうか?(あやふやな情報集めで、申し訳ありません。)