耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

母優里被告の公判に思ったこと

船戸結愛ちゃんの母親の裁判が始まり、その内容をネットや新聞で追っています。

 

DV被害者でありながらも出来る限り娘を庇い生かそうと頑張った母。最期には寄り添い二人で穏やかな時間を過ごし、優しい嘘で娘の心に微かな光を灯す。そして静かに旅立った娘。残された母は他の誰でもなく自分を責めるしかない。

的なストーリーに仕立て上げてきたんだなあ、と感じました。悲劇寄りの美談に持っていきたいのかと。

弁護士は抒情派なのだろうか。そして劇場型派?

 

そりゃあ大好きなお母さんに優しくされて、もう痛いことも怖いこともなく、微かな希望すら抱いての穏やかな最期だったのであればいいと切に願います。せめて。

でも亡くなる直前まで嘔吐し続け、殴られたという顔から体から傷だらけ、実際に母親が付き添って看ていた時間は長くなさそう…等々の事実から、やっぱりそうではなかっただろうと打ち消すしかないです。

 

母親優里被告の中に、本当に結愛ちゃんを案じる気持ちはどれぐらいあったのだろうか。

病院に連れて行かなかった理由は、この状況が明るみに出て(元)夫、そして自分も逮捕されるのを恐れた為、と語られています。

自分>娘としか読み取れないです。

 

また、品川児童相談所も訪問をしていますが、香川での経験から児相は子供を取りあえず守るという事は知っていたはずです。

香川の児相は、検証では対応が不適切だったと指摘されたりしていますが(アセスメントシートを使っていなかった、医療機関等からの情報を活かさなかった、引継を電話と書類で行った…※アセスメントシートってただ使えばいい話じゃないよなあとか直接会うのがそりゃあ一番かもしれないけど電話と書類で引き継いで何が悪いんだろうとか、ちょっと色々思っていますが)、結愛ちゃんの安否確認は定期的に行っていました。

それはしっかり、船戸雄大被告が東京に逃れてしまうほどに。

結愛ちゃんを守る機関であることは知っていた筈です。

でも裁判の中でも語られましたが、児相や行政機関は子供を守っても、自分を守ってくれるわけではない機関と位置付けていたようです。

自分も保護してほしかった。

そのような言葉も聞かれたようです。心理的なDVの被害や自らの精神状態について警察や病院、児相等にうまく伝えられず、自身の問題については特別視されなかったため放置された経験が被告にはありました。

例えば児相にありのままを伝えて結果娘が保護されたとして。

娘は助かる、が自分には何の得もないむしろマイナスにしかならない、という思いもあったのではないかと想像してしまいます。

 

 

話は逸れますが。

裁判中では優里被告の父親が証人としてお話されています。

被告の家族は結愛ちゃんが2回児相に保護をされたという経緯を知らなかったようです。

割と近所に住んでいたようで、そういう状況で知らないってあるんだと驚きました。

保護をされた理由に話が及べば書類送検もされた(不起訴でしたが)雄大被告の暴力行為が家族にも知られるわけですが、保護自体を隠すことって出来るのですね。

父親による子供への虐待がある家族。児相や行政機関は、その家族内の問題はその家族内で解決しようという考えを持っているのでしょうか。

幼稚園等には情報を伝え見守ってもらっていたはず。

近くに住む祖父母も頼りにしてもよい存在ではなかったのだろうか。

優里被告が拒否すれば児相も情報を伝えることは出来ないに違いないですが。伝えない理由も何とでも言い繕うことは出来ますよね。

そりゃあ自分の親に、夫が娘に暴力を振るい娘は保護されている、なんて言いづらいと心中は察します。一度離婚を経験しており幼い子供も二人、これ以上の心配をかけたくない。事実を知ったら「別れろ」一択に違いなく、それも避けたかった?それから自分の体面も守りたい…という思いもあっただろうか?

 

子供や家庭への支援について、行政的には基本なるべくその家庭内で解決する方針なのでしょうか。プライバシー保護とかの絡みなのでしょうか。それも疎かには出来ないんだろうけど。

そんなことも疑問に思いました。

 

 

結愛ちゃんが「自分の命よりも大切だった」という母優里被告の言葉に私は違和感をおぼえました。

それが決してゼロとは思わないけれど、100パーセントだろうか?

仕立てあげられたストーリーと実際の出来事の間には齟齬が生じると思うし、そこかしこに漂うのは保身という思惑、というのが自分の全体的な感想です。