云えないんだけど云わずにいられないこと
スマホとかAIとか
遺棄致死女児、放置は9日間 仙台地検、母親を起訴
2019.7.19 23:01
仙台市で6月、2歳11カ月の女児が自宅アパートに放置されて死亡した事件で、仙台地検は19日、保護責任者遺棄致死罪で母親の飲食店従業員、土屋りさ容疑者(25)を起訴した。宮城県警は当初、放置の期間を約3日間とみていたが、捜査の結果、放置は約9日間だったと認定した。 起訴状によると、土屋被告は21日午後8時半ごろから長女、陽璃ちゃんを放置し、同月末ごろ、低体温症で死亡させたとしている。地検は認否を明らかにしていない。 県警によると、同月30日午前11時ごろに土屋被告が帰宅すると、陽璃ちゃんがリビングの床に裸で倒れ、死亡していた。土屋被告は、知り合いの男性宅や、仕事に行っていたという
(産經新聞のネットニュースより)
もう子供達の命を本当に守るためには、子供ひとりひとりの心拍や血圧や脳波、血液の状態なんかを24時間監視するしかないのではないかと思ってしまいます。
ひとり暮らし高齢者の自宅の電気ポットが今日は作動していない(→この方の身に何かあったのでは?)、という時にお知らせしてくれるシステムがありますが、それっぽい感じで出来ないものでしょうか。
今なんてスマホとかで何でも出来そうな時代だし。
が、全国の子供達全員の毎日毎時間の安全確認となるときっと大変なので、範囲を限る必要もあるとなると。
人目に触れる機会がない子供達は優先的に、と思います。
でも世には、目に見える傷が出来ることがないけど酷い事、というのも存在するので人目に触れた部分が大丈夫でも分からないしなあ。
そのへんも今どきのAIとかで何とでも出来そうな気がする。
我が家も対象になったりするだろうか…。
子供達を守ることが出来るのならば、監視して下さっていいです!
(※私は今時の機械や通信やAIというものに全く疎く、実際に何が出来るのか分かっていません…。適当にざっくりとで申し訳ないです。)
マイイメージ司法
野田市小4女虐待死事件 傷害ほう助の罪の母の判決確定千葉地裁によりますと、栗原なぎさ被告の控訴期限である10日までに被告側、検察側からの控訴がなかったということです。
この事件はことし1月、野田市の栗原心愛さん(当時10)が自宅の浴室で死亡しているのが見つかったもので、母親のなぎさ被告は夫の勇一郎被告の指示で心愛さんに食事を与えなかったなどとして傷害ほう助の罪に問われていました。
6月26日に開かれたなぎさ被告の判決公判で、千葉地裁の小池健治裁判長は、「母として救いの手を差し伸べられる唯一の監護者だったにも関わらず、勇一郎被告の虐待を制止せずに放置し、夫の指示に迎合した」などと述べたほか、「支配的言動の強い夫に逆らう難しさは否定できない」と指摘。
懲役2年の求刑に対し懲役2年6か月、保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が言い渡されました。チバテレ(千葉テレビ放送) 7/12(金) 20:45配信
主犯の栗原勇一郎被告が黙秘を続けているので、事件の顛末は妻から聞き取るしかない→妻を逮捕、起訴→洗いざらい話せばあなたは執行猶予判決になりますよ、執行猶予なんて無罪みたいなものです、判決が確定したら家に帰って次女と普通の生活を送ることが出来ますよ、あなたは被害者みたいなものなんですから…的な感じで持ちかけ妻から話を聞き出す。
150件と云うなら
2歳女児衰弱死から1週間 不足している児童福祉司4年かけて増員 札幌市が方針示す
今月5日、札幌市中央区の池田詩梨ちゃん2歳が栄養不足により衰弱死し、母親の池田莉菜容疑者21歳と交際相手の藤原一弥容疑者24歳が傷害の疑いで逮捕されました。詩梨ちゃんが死亡した3週間前、児童相談所は警察から面会に同行するよう求められましたが、人手不足を理由に同行しませんでした。国の基準では、児童相談所の職員を人口4万人につき1人配置することになっていました。しかし、東京・目黒区の虐待事件をきっかけに3万人に1人に変更されたため、札幌市は12日の会見で、今後さらに26人増やす方針を示しました。「4年間の猶予があるので、その間にゆるやかに(増やしていく)」(札幌市児童相談所・高橋誠所長)内訳は児童福祉司12人、里親制度の担当者など14人です。専門性が必要なためすぐに補充できず、ある程度、時間がかかるということです。 6/12(水) 18:34配信 北海道放送(株)
この児童相談所では職員が一人あたり150件を担当しており、それが今回の事件でも十分な対応が出来ない一因となったように所長らは話しています。
それが本当に理由になるのかは分からないのですが、国の基準を守っていると職員の抱えるケースが多すぎて業務を正常にまわせない、という状況にあった、分かっていたのに、それを国や県などに訴えたりはしない。
幼い命が奪われるまで。
とは云えそう簡単に職員を増やしてという要望は通らない、としても後からそんな数字、「150件」を出すぐらいならその前に何か行動するべきではなかったのかと感じました。(※行動を起こしていたらすみません…。)
児童相談所には福祉や心理の専門職員よりも行政職の職員の方が多いとして(マイイメージ児相)。
専門職ではない自治体職員はこの人員で子供の命を守ることが無理と分かっていても、これはすごく大変な仕事だと感じていても、自分が在籍する数年をしのいでしまえば次の部署に移ることが出来るので黙って耐えしのぐのでしょうか。
あれこれ声を上げたり、体制を変えようと動く方が職員にとっては面倒なんだろうなあと思います。それはそうですよね。自分もその立場であればきっとそうなる。
人が足りないならば…他機関と連携すると出来る事も増えると思うのですが、そういう事にもあまり積極的ではないというイメージがあります。
今回事件が起こった札幌の児童相談所でも警察へ通報があった際、夜間対応を委託している機関があったけれども、職員が現場に到着するまで1時間かかるので警察への同行を要請しなかった、という経過があるようです。(何だかすごく謎の理由です。近場しか対応しないということ?頼むのもまた面倒なのだろうか?)
あらためて考えてみると自治体職員がメイン(※マイイメージ)の児童相談所が様々なニーズに応えていくのは難しいのだと気づかされます。
相手は子供から子育てに悩む親から殺人犯まで、色々な人を相手にする仕事なんですよね。
※この記事は自分のイメージで語っている部分が多く、事実とは異なるかとも思います。そして児童相談所も実情は様々に違いない。
体罰について2
私は自分の子供を叱る時に絶対に叩かないと決めています。
それは特別崇高な思考に基づく理由からではありません。
自分には依存症的な傾向があるので(相手はアルコールです…お前だけが心の友です)、暴力行為にも同じことが云えるのではないかと思うからです。
こちらが苛立つ子供の言動を制止するにはきっと体罰は有効だろう、という考えがいつも苛立ち真っ最中に頭をよぎります。面倒な手間いらずで子供もすぐに言う事を聞くので一瞬すっきりするだろうなあと。
でもきっと暴力行為の後には大きな罪悪感が待つと思います。
そこで再度の行動を打ち切ることが出来るといいのですが、自分の場合は多分無理です。
暴力行為に及ぶ時には罪悪感と共に、ごく微量の快楽物質が自分の脳の中には分泌されると思われます。
子供を簡単に戒められたすっきり感と快楽物質を求めて、きっと同じ事をもう一度してしまいます。
回数を重ねていくうちに子供にも自分にも慣れが生じ、同じ効果を得るために暴力の程度は増すでしょう。罪悪感がどの程度増えるのか減るのかは想像できないのですが、全力で自分を正当化(子供のため、子供が悪い、自分は精一杯やっている…)することは予測できます。
私は自分の子供を叱る時に絶対に叩かないと決め、守っています。
では叩く代わりに何をするかというと。
大きな声でひどい言葉で怒鳴りつけます、脅します、子供の前で物にあたることもあり。
しかもその目的も子供の事を考えて、というよりは自分の苛立ち解消のためなんですよね…。
それも虐待行為の一環ですよ、と言われたら「ハイ」と返すしかありません。
「しつけのため」の体罰について
子供が犠牲になる痛ましい虐待事件などのニュースをネットで読んでいます。
ネットのニュースにはそれを読んだ人達がコメントを書くことが出来るものがありますが、私はコメントまで読んでいます。
加害者への怒りをどこかにぶつけたい気持ち、被害者の子供達を悼む気持ちを他の人達と共有して、自分が楽になりたいという思いも少なからずあって。ずるくて弱いなあと自分に対して感じますが。
虐待事件のような内容は多くの人達の意見が一致するように見受けられます。
被害者への気持ちは勿論。
加害者に対しては「重罰を」「懲役刑よりも被害者と同じ目に遭わせたい」、また第3の加害者的な存在(行政機関、周囲の大人など)に対しての批判…うんうん、と自分も頷きながら読んでしまいます。
賛成マークと反対マークがある場合、賛成数の方が圧倒的に多いです。
これが体罰、例えば法に体罰禁止を明記、というようなニュースに対しての内容であると、賛成数と反対数が割と拮抗しているような気がします。
しつけに体罰は必要ない、という完全に賛成的な意見もあるし、しつけの為ならば体罰もありです、という完全に反対的な意見もあるし、行き過ぎた暴力は駄目に決まっているけれど愛情を持って本当に必要なことを教えたい場合には体罰も必要、というような折衷的な意見も多いようです。
体罰をどう捉えるか、難しいと感じます。
こういうニュースについて
厚生労働省は5日、保護者らによる体罰禁止を盛り込んだ児童虐待防止法と児童福祉法の改正案の概要を明らかにした。必要な範囲内で親権者の「懲戒権」を認めている民法との調整については「施行後5年をめどに検討を加え必要な措置をする」としている。
同日朝に開かれた自民党の虐待防止に向けた特命委員会と厚労部会で示した。出席した議員から懲戒権との関係整理について「5年は長すぎる」との声が上がったという。(3/5(火) 12:08配信 共同通信)
それいま大事?と思いました。
東京都でも”都道府県で初・体罰禁止を明記した児童虐待防止の条例案”を公表していますが、例えば目黒の事件で結愛ちゃんを死に追いやったのは、本人の様子も確認せずに「大丈夫だと思った」(引き継いだ情報によると怪我の程度も軽かったし、近所等からの通報もなかったし…と答えていた相談所所長の言葉もネットで見たことがあります。幼い女の子の顔のあざや傷を軽いと言えるのかも疑問ですし、香川県の医師も危険であると伝えていたのに。そもそも本人を見ずにどうやって安全と判断できるのか?虐待方法も色々とあること、また近所の住民が虐待に気づいていたとしても必ず通報するわけではないですよね)などとよくも言ってしまえる児童相談所の感覚だったのではないのでしょうか。※直接殺めたのは当然、船戸容疑者ですが。
児童相談所のような機関の職員が正しく情報を分析し、正しく動くことが出来れば十分既存の法律で救うことが出来るのではないかと思ってしまいます。
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児童相談所などの仕事について実態を知らずに言うだけ簡単な立場で語ってしまうのはどうかといつも思うのですが、でも本人に会わせてもらえないという状況で「大丈夫」と判断出来たこと、どうしても納得がいきません。あの事件では1回目は訪問で駄目で、2回目は小学校の説明会で駄目で、更に区からの家庭訪問の申し出を断ったという経緯もあるようで、ことさら。
しつけのための体罰は禁止ですとさらっと言われて、そっかじゃあ止めないとなー、と皆が自制出来るのであれば警察は要りませんよね。
裁判の際に暴力行為を「しつけのため」と言い逃れることは出来なくなるのかもしれませんが、妥当な量刑判断や虐待抑制への効果は微々たるものではないでしょうか。
以下、短絡的思考で。
子供への暴力・食事を与えない・病気怪我を放置は殺人行為です殺意ありと見なします、という法ならば個人的には賛成です。