耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

10年後

千葉県野田市の虐待死事件に関するニュースを追っていると、松本聖香ちゃん(亡くなった当時9歳)の殺害事件(2009年大阪府西淀川市)が思い起こされます。あれはほんの10年前の事件だったのですね。

直接の暴行は実父ではなく母親の内縁の夫によって行われましたが、聖香ちゃんを男に差し出して自分と下の子を守り、場面によっては暴行に加担する母親。

聖香ちゃんは殴られて出来た顔面のあざについて学校で問われ、暴力を受けていることを教員に打ち明けた⇒学校は母親に(!)確認⇒当然「殴っていない、階段で転んだ」というような回答を得るがそちらを採用、他機関に通告等もしない⇒殺害されたのは4月の上旬。聖香ちゃんはそれまでにひと月近く欠席をしていたが(男が適当な理由を告げていた)、申し出を断られたため(!)家庭訪問等も実施せず。これは私の偏見からの邪推ですが、学校的にも関わりたくないタイプの男であったのではないかと。

 

聖香ちゃんをあらゆる手を尽くして痛めつけ殺した後、男と母親は遺体を埋めて隠蔽を図っています。

立派な殺人事件だと思うのですが、男と母親には裁判員裁判で保護責任者遺棄致死や死体遺棄の罪でそれぞれ懲役12年、8年6月という判決が下されました。罪状、いずれも求刑より目減りしていること、男は判決を不服として控訴までしていること、個人的には腑に落ちないことだらけです。

 

この事件を受けて立ち上がった「ひまわり署名プロジェクト」。こちらの活動を始められた方々の気持ちが今の自分にはよく分かります。当時はまだここまで感じなかった。

 

児童虐待法はありました。解釈とか実行はそれぞれにお任せな部分は危ないのかなと感じるのですが、そこに取りあえず最低限必要なものは揃っているように見えます。

救うことが出来る命を救うには、あと何が必要なのかと考えさせられます。

 

聖香ちゃんやその他の子供達が犠牲になった悲しい事件によって虐待(全部を虐待とくくって良いかは分かりませんが)の認識も変わり、子供の異変や訴えから保護につなげた学校や近所の人、必要な対応を行い子供を救った行政も増えたのではないかと思います。通報の数は実際に増えているわけです。実数だけが増えたとは思えません。

悲しい事件が起こるたびに世間の認識は変わっている。

勿論、事件があろうとなかろうと、子供を思い動く人達もいる。

それでも何かが足りなくて、その足りなさを持つ人や環境が子供の周りに揃ってしまうと悲劇は起こるのだと感じています。

自分自身も果たして足りているか?というと…どうなんだろうというところです。