そういうことにしておいて下さい。
最近、夜ご飯を子供達と一緒に食べていません。
食卓に食事を並べた後は台所や部屋の細々とした片づけをしたり、布団を敷きながら(家は布団派)、自分はちょこちょこと立ち飲み・立ち食いをしています。その間、子供達はもちろん座って食事をとっています。
リビングダイニングベッドルームな感じの間取りなので、子供達の様子は見えるし会話も出来ます。
一緒に食卓について食べることも可能なのですが、敢えてそうしていません。
理由は、子供達と一緒に食事をとることが苦痛だからです。
うちの子供達はあまり食事の時間を喜びません。お腹は空いている筈なのですが、なかなか進まず…嫌そうな迷惑そうな様子にさえ映ります。自分達が好きなもの(ラーメンやうどんの麺類など)は割とよく食べますが、普段の食事はからっきしです。
子供はそういうものと思います。
自分もそうでした。ご飯を食べられることってありがたいことなんだなあと心から思ったのは罰当たりなことに大人になってからでした。食事の時間って、それほど嬉しい時間ではなかったです。給食の時間も。(それだけ恵まれていたと言えるのかもしれません。)
自分だってそんなふうだったのですが。
帰宅した時には仕事で疲れており、疲れていることをアルコールでごまかしながら子供達の入浴、食事、片付けをこなしています。
そんな中、食べない子供達と一緒に食事をとることは更なる苦痛なのです。
食事は一緒に、会話をしながら。和気あいあいな食事は食育の一環。食が進まないことを咎めたり怒ったりするのではなく、まずは楽しい雰囲気作りから。
うるせー、と言いたくなります。
そんな気力は残っていない、というのは我ながら言い訳に聞こえる。
子供達はむちゃくちゃ可愛いく、それはもう大好きな存在なのですが、一緒に食事をするのがここ最近は苦痛です。
苦痛であることを後ろめたく思います。本当はこうでないといけないのに、という食事光景(みんなで食卓を囲み和やかに食事する)が頭の中にあるのに、そうなってない。
本当はこうでないといけないのに、というものには、この夕食問題に限らず子育てをしていると時折ぶち当たり苦しい思いをさせられます。
そんな時は。
大まかなところが達成出来ていれば(たとえば子供達は飢えることなく必要な栄養はとって一応成長しているわけです)OKと思いましょう、的なことを本で読んだことがあり、そこにすがっています。
どうかそういうことにしておいて下さい(懇願)。