耳をすまして目をみはれ

子育て中の一般市民が、児童虐待事件などについて思ったことを書きます。あくまで個人の見解です。

真冬に夜に朝に思う事

私は毎朝4時~5時に起きます。

冬の早朝は寒くて暗い。

朝にはいつも目黒虐待死事件の結愛ちゃんを思い出します。こんな中で5歳の女の子が恐怖と痛み、悲しみや空腹を抱えてひとり過ごしていた。

 

冬の浴室もまた寒い。

この場所ではいつも狭山虐待死事件の羽月ちゃんを思い出します。たった3歳の羽月ちゃんは顔面に火傷を負わされ、その他にもたくさんの傷を負った(口の中まで深い傷を)栄養失調の状態で、裸で、冷たい水をかけられて一晩浴室に放置され亡くなりました。

水をかけるという行為は一度ではなく、裸にされ、あるいは服の上からそれまでにも何度も行われていたようです。

 

結愛ちゃんや羽月ちゃん、この1月に千葉県野田市で亡くなった心愛ちゃんも浴室でも暴力を受けていたことが分かっていますね。

 

クリスマスには、食べこぼしをしたという理由で男二人から暴力を振るわれ亡くなった箕輪市虐待死事件の歩夢くんを思い出しました。

 

結愛ちゃんはクリスマスの夜に怪我をさせられた上、裸足で外に出されていたこともありました。(ただ、外に出されるという酷い仕打ちも、隠されるよりは助けられる可能性につながるのかもしれないと自分は思うようになりました。)

 

 

朝起きると私は明かりと暖房を点けて、湯を沸かし温かい飲み物を飲みます。あまつさえ、お菓子をつまむ日もあります。そうして終わらせられず持ち帰る仕事や、こまごまとした家事を行います。とにかく、寒さも暗さも空腹も私は自分で追い払うことが出来ます。

やがて朝食+夕食を作ります。家の中は鍋から上る湯気や食べものの元気な気配で満ちていきます。日も昇り、闇は追い払われ、何も憂いのないような朝の風景がそこにはある。自分の子供達もまだ眠い眠いと起きてきた後、一緒にお腹を満たしそれぞれの場所に出かけて行く慌ただしい時間が、一日が始まります。

 

寒さも暗さも空腹も痛みも恐怖も自分では追い払うことが出来なかったあの子達は、どんな思いで夜を過ごし朝を迎えていたのだろうと考えてしまいます。